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ティアニーのロング・インタビュー
ティアニーがアーセナル公式WEBのインタビューのなかで、これまでのキャリアや学びと努力に対する姿勢について語っています。
ティアニー
「フットボールを始めたのは情熱があるからだし趣味みたいなものだ。フットボールが好きだからプレーするんだ。僕も幼い頃から憧れの選手やクラブを見て育ったけど、僕にとってはそれがセルティックだった。物心ついたときからフットボールをしてきた。みんながいつも言うことだけど、本当にそうなんだよ。フットボールは楽しくないとね。
だから、笑顔でプレーしないといけないんだ。幼い頃から両親やコーチにそう言われてきたはずだし、キャリアを通してその気持ちを持ち続けることは本当に大切なことだと思う。
プロになれば数多くのプレッシャーに晒される。だからこそ、なぜフットボールを始めたのかを思い出す必要があるんだ。
(幼い頃にフットボールに対する愛情が芽生えたのは)まず間違いなく両親のおかげだ。幼い頃からあなたを愛し、支え、導き、その人の人生で育ててくれるのは両親だからね。
それに、僕が育ったスコットランドではフットボールが主要なスポーツだったし、僕がいた環境がフットボールに対する真の愛を与えてくれたんだ。
毎週サポーター・バスに乗って試合を観戦に行ったり、セルティックの試合を大きなスタジアムで観たり、アウェーのグラウンドにも観戦に行ったよ。
そうすることでフットボールへの愛着が湧いてくるし、幼い頃からそういう感情を持っていた。両親はそれに大きく関わっていたし、選手たちのことも尊敬していた。ヘンリク・ラーションが僕にとってのヒーローだったね。」
一人のファンに過ぎなかった少年が、憧れの選手達と一緒にトレーニングするまでそう時間は掛かりませんでした。
ティアニーがセルティックのユースで活躍していた頃、トップチームでは既にスコット・ブラウンが伝説的な存在となっており、リーグ優勝10回・国内カップ戦優勝12回という輝かしい成績に大きく貢献していました。
「彼は当時キャプテンで、外から見ると威圧的な選手だけど、僕がスカッド入りを果たすとすぐに面倒を見てくれるようになったんだ。
彼がコーチングの資格を取っていた時期に、U-20のコーチを短期間務めたことがあって、そのあと僕がトップチームに昇格したときも本当によく面倒を見てくれた。
今でもほとんど毎日話しているし、フットボール界で一番の親友だと言えるね。彼がいたからこそ、プロとしてのキャリアをスタートを切ることができたと思っている。
まさにキャプテンの定義そのものだったよ。キャプテンとはどうあるべきかを説明するなら、それはスコット・ブラウンだろうね。
チャーリー・マルグルーやミカエル・ルスティグのような、経験豊富で国際試合の出場数の多い選手もいた。だから、ドレッシング・ルームに入って彼らのような選手たちから学ぶことができたのは素晴らしい経験だったよ。
今、そのような人たちに出会うのは稀だと思う。世代が変わったせいか、彼らは最後の古き良き時代の選手たちだったかもしれない。
スコットに初めて会ったのは、ボールボーイをしていたときだったと思うけど、きちんと会ったのはトレーニングの時だった。
彼は僕のことを気に入ってくれたようで、僕の態度や仕事に対する姿勢を気に入ってくれたんだと思う。でも、間違いなく威圧感たっぷりだったね。それは今でもそうだ!僕は彼に何も言えないんだ!(笑)
でも、若い選手にはそういった恐怖も必要だと思う。あの年齢でドレッシングルームに入ったとき、すべて簡単だと思ってはいけないからね。今の世代では変わってしまったと思うが、当時は常に恐怖心があったよ。」
現在27歳のティアニーですが、彼のキャリアのなかでも若手選手がゲームに参加する方法は変化してきていると語ります。
「僕は17歳でデビューしたのでもう10年前になるけど、当時でもチームのためにやらなければならない仕事があった。
ブーツを磨いたり、トップチームのトレーニングのためにボールやコーンを用意したりするのを手伝ったりしていたね。
トップチームのメンバーからの尊敬を勝ち取る必要があって、それは時間がかかるものだ。1回の練習で得られるものではないし、多くの試合をこなす必要がある。
尊敬を得るには時間がかかるし、そうあるべきだと思う。厳しい世界なのだから簡単であるはずがないんだ。
僕はどんな時でも常に可能な限り全力で努力してきた。だけど、16歳でプロになったときの契約では1年契約しかもらえず、給与も他の人より低かったよ。
基本的にクラブは『1年間、彼の様子を見てみよう』という姿勢だった。他の選手の中には2年または3年契約を結んだ人もいたけれど、僕は1年契約だった。
だから、その年、僕は自分自身にこう言い聞かせたんだ。『もう失うものはない、誰よりも一生懸命に働き、楽しみ、そのうえでどうなるか見てみよう』ってね。
セルティック僕を必要としないのであれば、それは彼らの判断だし、僕は絶対にすべてを出し切るしかない事はわかっていた。
その年の僕は大きな成果を挙げることはできなかったけれど、一貫性があったんだ。その年齢層の左SBが1年繰り上がったのでそのポジションが空き、僕は多くの試合に出場することができた。
その年の年末には別の契約を得ることができて、それが17歳でデビューした年だった。だから、その前の年は僕にとって非常に重要だったと思う。
なぜなら、逆の結果に進んでいた可能性もあったからね。1年契約という形で、その年齢で半ば拒絶されたような気持ちになることは、僕の成長を後退させた可能性もあったけれど、そのことが逆に僕を奮い立たせたんだ。」
ティアニーによると、最初の大きなチャンスを掴むキッカケになったのは、必ずしも彼自身のパフォーマンスによるものではなく、ピッチ外やトレーニングでの振る舞いによるものだと考えているようです。
「U-20に上がったとき、僕はまだ17歳だった。当時トップチームの監督はロニー・デイラで、アシスタントはジョン・コリンズとジョン・ケネディだった。その3人は最初から僕を気に入ってくれたようだった。
彼らは僕の仕事に対する姿勢を見ていた。僕は若手ですごく粗削りだったし、テクニックもバラバラで、決して完成された選手ではなかったけれど、彼らは何か磨きがいのあるものを見出してくれたようだ。
仕事に対する姿勢は僕にとって最も重要なことで、持てるすべてを出し切れば、後悔することはないとわかっていたんだ。
彼らはそれを見ていて、僕が一緒にトレーニングするようになると彼らは僕庇護し、面倒を見て、成長させてくれた。
彼らはトレーニング後に特定のことに取り組むために追加の練習をしてくれ、そのことが僕の突破口となり、デビューを果たしたシーズンだった。重要な年だったし、ロニー・デイラのお陰だ。」
ティアニーは2014-15シーズンからセルティックのトップチームに定着すると、その後もコンスタントに出場を続けました。そこでの活躍が認められPFAスコットランドの年間最優秀若手選手にも選出されています。
これはティアニーが学生時代から抱いていた野望の一つの集大成となりましたが、学業との両立は大変だったようです。
「学校はとにかく大変だったよ。僕はマザーウェルにあるアワー・レディーズ高校に2年間通ったんだけど、3年目にセルティックはチームメイトと一緒にいられるように別の学校に移った。
それはそれで大変で、毎朝5時30分に起きて登校前にトレーニングをし、日中は学校で過ごして、夜にもう一度トレーニングするという生活だった。楽しかったとは言えないけど、僕にはそれが合っていたんだ。
その年齢で新しい学校に行くことは気が滅入ることで、友人たちとも離れてしまうが、セルティックでプレーしたかったので、そうする必要があったんだ。僕はとにかく全力を尽くしたよ。学校で一番賢い生徒ではなかったが、常にそうなれるよう一生懸命努力した。
僕は常に自分がフットボール選手になるという予感がしていた。根拠は特になかったけどね。その年齢でトップチームにいたわけでもないし、同世代のなかで目立った選手でもなかったけど、フットボール選手になることだけに集中し、そのためにすべてを捧げてきた。もしそれが実現していなかったら、どうなっていたかわからないよ。」
17歳でのプロ・デビュー以来トップチームで通算300試合以上に出場し、スコットランド代表としても47試合に出場しています。
17歳でデビューを飾ったころと比べて、今の自分はどれくらい違う選手になったと考えているのでしょうか?
「トップチームの選手としてプレーして10年になる。長い年月が経っているし経験も豊富だと感じているよ。
僕の人生でも多くのことが変わった。ここへ来たとき、初めて家を離れて海外で1年間プレーした。だから、異なることを学び、自分のコンフォートゾーンから抜け出すことを楽しんでいる。
例えば、昨年のレアル・ソシエダでは監督は英語を話せなかったし、新しいリーグ、新しい文化だった。だけど、正直なところ最も大変だったのは、2019年に初めて家を出てロンドンに来たことだったかな。スペインへ行った頃にはずっと大人になっていたし、ここ数年で大きく成長したと思っている。」
ティアニーはこれまでのキャリアのなかでクラブレベルでは6人の監督、そして代表では3人の監督の下でプレーしてきました。
「フットボールは変化し、より戦術的になって常に意識を集中させておく必要が出てきた。若い頃は、その時々で正しいと感じることを重視しがちだが、フットボールは間違いなく進化していると思う。
初めてそれを実感したのは、ロニー・デイラのドレッシングルームに入ったときだった。しかし、その翌シーズン、リヴァプールにいたブレンダン・ロジャーズが来て、彼は私に新しいフットボールを見せてくれた。それは毎年進化し、試合の見方も変わっていった。
フォーメーション、戦術、プレースタイルをより意識するようになったんだ。さまざまな左SBを見て、自分自身でもより分析するようになった。
それは今やフットボールの大きな要素だと思うし、あらゆるシナリオに意識を集中させておく必要がある。
ここの監督は戦術的に信じられないほど素晴らしいので、できる限り多くのことを吸収して多くを学びたい。それが自分を成長させるからね。毎日が学びの連続だよ。
フットボールを始めた頃はもっと即興的で、常にアップダウンしていたが、今はもっと戦術的にポジショニングを意識する必要がある。
チームによって異なるスタイルが求められるようになり、今はフルバックよりも、WGが前に出て相手を打ち負かすことに重点が置かれている。だから、僕がデビューした頃からフットボールは変化した。」
紆余曲折を経ながらもプロとして10年間を過ごしてきたティアニーですが、引退後のプランは考えているのでしょうか?
「いや、まだ特に何考えてないんだ。でも、いつか犬の保護施設を開きたいという願望を持っている。SSPCA(スコットランド動物虐待防止協会)の親善大使も務めているので、それが現時点で目標と言える唯一のことかな。
ただ、コーチングに関してはまだ何の資格も取得していないので、何をするかわからない。興味はあるけど、将来プレーに集中できなくなってきたら、もっとちゃんとした計画を立てるだろうね。」
最後に、これまでのキャリアで学んできたことを携えたまま、フットボールのキャリアを歩み始めた頃に戻れるとしたら、どうなっているでしょうか?
「何も変えないと思う。フットボールを始めた頃は若くて世間知らずだったけど、一瞬一瞬を楽しんでいた。
その世間知らずさが、若手の頃には役に立つこともあるんだ。16歳や17歳の頃には、恐れるものなどない。怪我とか変えたいと思うこともあるかもしれないけれど、それはどうすることもできないからね。だから、これまでのキャリアに後悔は全くないよ。」
(ソース:Arsenal.com)
