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エインセによる守備の改革
ジャーナリストのRyan Taylor氏がMirrorに寄稿した記事で、今季からアシスタント・コーチに就任したガブリエル・エインセによる守備の改革について解説しています。
アルテタの「兄貴分」とも呼べるエインセは、昨年7月にアーセナルのコーチング・スタッフに加わった。二人の絆は2000年代前半のPSG時代まで遡る。
2025年4月、ハインツェはベルナベウでアーセナルが古巣レアル・マドリーを容赦なく叩き潰すのを目の当たりにした。試合後にアルテタとも顔を合わせている。その後、6月にカルロス・クエスタがパルマへ移籍したことで、アルテタとのコラボレーションが実現したのだ。
レアル時代のチームメイトの一人に話を聞いた際、返ってきた言葉は率直だった。「練習での彼は獣のようで、まるで”火山”みたいな男だった。負けん気が強く、ゲン担ぎが激しく、献身的なこと極まりない。アルテタはいわば、もう一本腕が生えたようなものだ。」
それは比喩ではなかった。エインセはアルテタに敬意を示しつつも異議を唱えながら、守備の規律を根本から刷新した。
数字が物語る守備の革命
昨シーズンのアーセナルはイエローカード67枚、レッドカード6枚を記録しており、プレミアリーグ最多の退場数だった。その一枚一枚が、優勝への道を狭めていた。
しかしその一年後、フェアプレー順位で首位に立つ。警告50枚、退場ゼロ、PKにいたっては一つも与えていない。
全ての大会を通して32回のクリーンシートは、今シーズンのヨーロッパ5大リーグでも最多だ。これほどの記録を刻んだのは、1970-71年(37回)と1979-80年(33回)のみ。最終ラインは間違いなく、エインセの作品と言えるだろう。
とはいえアルテタは、主要な起用の決断においてエインセやアルベルト・スタイフェンベルフと必ず意見を交わしている。
ベン・ホワイトがウェストハムで内側側副靭帯を負傷した後、タッチライン際でエインセに対して「モスケラか?スビか?」と問いかけるアルテタの姿が目撃されている。最終的にスビメンディが選ばれた。指揮官は一人で決断しない。それが、この二人の関係の本質を表している。
タイトルの重み
4月19日、マン・C戦に2-1で敗れた翌日の夜、エインセはアルテタをアルゼンチン料理のステーキ店に誘った。カムデン・ハイ・ストリートの「ラ・パタゴニア」だ。ニューカッスル戦前夜のことだった。
アルゼンチンのメディアでは、エインセがフリアン・アルバレス獲得の舞台裏で動いているとの憶測も飛び交っていた。スポーツディレクターのアンドレア・ベルタが熱望するストライカーだ。直接的な接触を意味するわけではないが、誰かが彼に熱烈な推薦を送ったことは明らかだ。
そして迎えた優勝決定の夜、アルテタは自宅へ車を走らせることを選んだ。キャプテンのウーデゴールはチーム全員でトレーニング施設の大型スクリーンでボーンマス vs シティ戦を見届けることを提案し、アルテタもすぐさま承認した。
だが試合が始まると、不安は耐えられないほど募り、彼はエインセともう一人のスタッフを連れて自宅へと向かった。
到着後、子供たちと妻ロレナに挨拶し、すぐさま庭へ出てバーベキューに火を入れた。最初は穏やかなひとときに見えたが、リビングから漏れる歓声と、隣家から爆発する喧騒を無視すること不可能だった。
裏口から出てきた息子のガブリエルが飛びついてきた。涙目のダニエルとオリバーもそれに続いた。そして、その場にエインセがいた。6年半近い年月分の感情の洪水を、肩を並べて目撃した。
炎はまだ燃えている
アルテタとエインセが分かち合ったあの夜は、物語の終わりではない。
フェアプレー、守備の完成度、そしてアルバレス獲得へ向けた水面下の動き。アーセナルが次のサイクルへ踏み出すための布石は、すでに打たれている。
エインセという存在が加わったことで、このクラブは「惜しくも優勝に届かなかったチーム」から「勝ち続けるチーム」へと脱却しつつある。
庭の炭火はいつか消える。だが、あの夜に灯った何かは、そう簡単には消えないだろう。
(ソース:Mirror)
メルテザッカーがクラブでの15年間を振り返る
2011年にブレーメンからアーセナルに加入以来、選手・指導者として15年間に渡り活躍してきたメルテザッカーが、今シーズン限りで退任することが決定しています。
メルテザッカーがアーセナルでの15年間を振り返り、次のように述べています。
メルテザッカー
「アーセン・ベンゲルがドイツ語を話せるという事実に、ただただ驚かされたよ。それが最初の決め手だったし、さらに意欲を掻き立てられた。だから『これが自分の旅の次のステップだ』と思った。ある程度の経験を積んだ選手として、プレミアリーグは次なる大きな舞台だったんだ。そしてアーセナルは、シャツを初めて買った日からずっと、子供のころからの憧れのクラブだった。
最高のスタートを切れた。(※アルテタと)二人とも同じホテルにいた。どちらもデッドライン・デイ当日に加入したから、同じホテルだった。最初の1か月は車を相乗りしていたよ。彼は運転できるけど私はできなかったからね。その点では今でも彼に頭が上がらないよ!(笑)
彼はかなり早い段階で副キャプテンになり、やがてキャプテンになった。私はその際に副キャプテンを務めたから、直面した困難を通じてその関係は深まっていった。
決して順風満帆ではなかったね。私たち二人がグループの前に立ち、何が問題なのかを突き止めようとしなければならない厳しい時期もあった。
彼はキャプテンとしてだけでなく、私にも同じことを求めた。前に出て、責任を取れとね。彼の持つハイレベルの基準が私を教育し、同時に揺るぎない信頼を築いてくれた。
何が必要かを彼はわかっている。そして、現役時代から人々や選手たちを率いる立場へと移行し、彼らからベストを引き出そうとするために何が必要かも、よくわかっている。
個々の仕事に対して、私たちはお互いに深くリスペクトしている。だけど、それ以上に重要なのは、集団として積み上げてきたものへのリスペクトだ。」
メルテザッカーのピッチ上でのキャリアが終わりに差し掛かったころ、同じく最後のシーズンを迎えていたベンゲル監督から、ユースレベルで変革をもたらし、名門ヘイル・エンド・アカデミーを新たな高みへと引き上げるという挑戦を言い渡されたそうです。
そして、メルテザッカーはその期待を軽々と超えた、と言っていいでしょう。アカデミー・マネージャーを務めた期間に、計24人のヘイル・エンダーたちがアルテタ監督率いるチームでプレーするまでに成長しています。
そのデビュー組の中には、マイルズ・ルイス=スケリーとブカヨ・サカの2人もいます。二人はアトレティコ・マドリーとのCL準決勝に先発出場し勝利に貢献しただけでなく、22年ぶりのプレミアリーグ優勝においても不可欠な役割を果たしました。
「ものすごく奮い立たされるよ。それに関わったすべての人にとって、大きな誇りだ。それだけでなく、次のU-9チームの選手たちとその両親への刺激にもなる。
ブカヨとマイルズがアカデミーを通じてどのように成長し発展してきたか。その姿に彼らは何かを見るのだ。我々が育てた選手たちを、ただただ誇りに思う。どんな状況でも謙虚で、常に上を目指す人間たちだからね。
ここに必要なのは、そういう人間だ。とことん規律正しく、リスペクトを持った人間がね。
サカはこのクラブに対する自分の責任をちゃんと理解している。私が驚いているのは、彼が今も食堂で、一軍の専用エリアがあるのにも関わらず、アカデミーのスタッフに必ず声をかけに行くことだ。
自分のここまでの道のりに、どれほど多くの人が貢献してくれたかを、心の奥底で理解している証拠だと思う。
その謙虚さ、つまり『自分は今ある一定の段階まで来ているけれど、まだ成し遂げるべきことが山ほどあり、毎日努力して一貫性を保ち続けなければならない』と理解し、口にできることだ。彼のコミットメントはもちろん、その一貫性を誇りに思うしそれは今後も変わらない。」
アカデミー出身のマックス・ダウマンがプレミアリーグ史上最年少の得点記録、かつ優勝経験者になったことは、メルテザッカー率いるヘイル・エンドの英雄たちにとってこれ以上ない有終の美と言えます。
フラム戦に3-0で勝利したあと、メルテザッカーはアーセナルのサポーターたちから温かい別れを告げられています。それは長く心に残る記憶となるでしょう。
「非常に特別な瞬間だった。クラブと関係者全員に感謝したい。私と家族にとって一つの時代の終わりだが、胸を張って去り、人々に温かく迎えられ祝福される。それはとても特別なことだ。
これほど良い状況で締めくくれて、誰もがポジティブな気持ちでいられるのは嬉しい。私にとってはちょうど良い落としどころだと思う。
去り際にすべてをより良い状態にして残せることが、ただただ嬉しい。おそらくそれは最初から、私にとって最大の目標だったからね。
数年後、我々は多くの人から羨まれるような、何かを築き上げられるポジションにいられるだろうか? 今の我々はまさにその場所にいると思う。」
(ソース:Arsenal.com)




