サカの怪我は大事に至らず
デイリー・メールの報道によると、先週末のニューカッスル戦でゴールを決めた直後に太ももの違和感を訴えて交代したサカについて、大きな怪我では無かったようだと伝えています。
アーセナルは木曜日に行われるマン・U戦へ向けて、月曜日にサカの状態をチェックしたとのこと。デイリー・メールの取材に対して、関係者はサカの交代は大事をとったものであり大きな怪我では無かったと楽観的な見通しを述べたそうです。
(ソース:Daily Mail)
マン・Uはキャリックが指揮
今週の木曜日(日本時間 金曜日)に行われるマン・U戦ですが、この試合は引き続きキャリック暫定監督が指揮を取ることが正式に発表されています。
マン・Uは先日、今シーズン終了までの契約でラルフ・ラングニックを監督として迎え入れる事を発表しています。
しかし、ワークパーミットの取得とCOVIDプロセスの影響からまだ試合で指揮を取ることができない様です。
(ソース:football.london)
クルゼフスキの代理人と接触か?
イタリアのフットボール界に精通するジャンルカ・ディ・マルツィオ氏によると、アーセナルがユベントスのスウェーデン代表MFデヤン・クルゼフスキ(21)の代理人と接触しているそうです。
アーセナルは1月の移籍市場でクルゼフスキの獲得を目指していると噂されていました。
ディ・マルツィオ氏
「アーセナルは彼を欲しがっている。彼らは代理人に最初の接触を行った。ユベントスは彼を3,500万ユーロ+ボーナスで獲得しているので、あとはアーセナルが幾ら払う気があるかだ。
しかし、アーセナルが最初に接触を図ったことは分かっている。」
アーセナル以外にもトテナムが興味を示していると噂されています。
(ソース:Daily Express)
クラブ・レジェンドのレイ・ケネディ氏が死去
クラブはアーセナルとリバプールで一時代を築いたレジェンドのレイ・ケネディが亡くなったことを公表しました。享年70歳。ポジションはFW・MF。
ケネディ氏は16歳でアーセナル・ユースに加入すると、18歳の時にトップチームへ昇格を果たします。そして、1969年9月26日に行われたインタシティーズ・フェアーズ・カップ(※現ELで当時は非公式戦)のグレントラン戦でデビューを飾ります。
デビュー1年目のシーズンは出場機会が限られたものの全ての大会を通して6試合2ゴールという成績を残します。また、クラブはフェアーズ・カップで優勝しクラブ初の欧州タイトルを獲得しています。
2年目となる1970-71シーズンはケネディとアーセナルにとって印象的なシーズンになります。このシーズンはリーグ戦で41試合に出場しチームトップの19ゴールを記録しました。
リーグ戦の最終節となったホワイト・ハート・レーンでのトテナム戦でゴールを決めるなど勝利に貢献し、クラブに18年ぶりとなるリーグ優勝をもたらします。さらに、FAカップでも9試合全てに出場して2ゴールを挙げて優勝に貢献しました。
アーセナルではこのシーズン以外はタイトル獲得は叶いませんでしたが、通算212試合71ゴールを記録しています。
1974年に当時のクラブ記録となる18万ポンドでリバプールへ移籍すると、MFとしてプレーする様になります。
リバプールでも中心選手として活躍し、1970年代のクラブ黄金期を支えてリーグ優勝5回・FAカップ2回・UEFAチャンピオンズ・カップ3回・UEFAカップ1回の獲得に貢献しました。
リバプールを退団後はスウォンジーやハートリプール・Uなどでプレーしますが、1984年にパーキンソン病と診断されてしまい、その後生涯に渡って闘病生活を送ることになります。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(ソース:Arsenal.com)