【アーセナルNEWS】冨安のファースト・インタビューPart2

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冨安のファースト・インタビューPart2

トミー、君は一風変わった道のりを経てフットボールの世界に入ってきたらしいね。僕らが最初に読んだ話では、初めはフットボール選手ではなく水泳選手になりたかったとか。もう少し詳しく聞かせてくれるかな?

「水泳選手になりたいと思ったことはないよ(笑)僕には年上の姉が二人いるんだけど、姉達から僕も水泳をやるよう勧められたんだ。

だけど、顎のここ(場所を指差しながら)を怪我しちゃって泳げなくなってしまった。だから、フットボールをやる方向にプランを変えたんだ。」

 

いま顎を怪我したと言ったけど、祖母の家で怪我をしたんだって?

「そうそう、ランニングマシーンで遊んでてね。たしか5歳くらいだったと思う。僕はあまりよく覚えていないんだけど、祖母はそう言ってた。

それで祖母に怪我をしたと伝えて病院へ行ったんだ。治療の間中ずっと熱い!熱い!って言ってたらしいよ(笑)僕は覚えてないけどそう言う風に聞いてる。」

 

そのあとフットボールをすると決めた訳だけど、そこからアーセナルへ来るまでの経緯を教えてくれるかな?

「5歳くらいからフットボールを始めたと思う。そのあとアビスパ福岡から声が掛かって、17歳から2年間プレーした。

その後ベルギーへ移籍して1年半プレーし、そこからさらにイタリアへ移籍して2年間プレーした。それで今アーセナルにいるって感じかな。」

 

日本を離れてベルギーへ行った時はどうだったかな?ホームシックになった?

「うーん、それは無いかな。ヨーロッパでプレーするのが夢だったからホームシックとかは無かったよ。

僕が17歳のとき(日本代表の試合で)イングランド代表と戦って1-5で負けたことがあるんだけど、僕らは全く歯が立たなかった。

そのとき海外でプレーする必要があると感じた。それでベルギーへ行くことにしたんだよ。だからヨーロッパでプレーできて嬉しかった。」

 

君は日本・ベルギー・イタリアそして今イングランドでプレーしてるけど、言葉が全て違うよね。それは大丈夫だった?

「ベルギー時代は英語で会話してたんだけど、もっと勉強が必要かな(笑)イタリアでは先生に教わりながらイタリア語を使っていた。

今はプレミアリーグにいるので、もっと英語を勉強して上達する必要があると思う。」

 

いやいや上手だと思うよ。ベルギーからイタリアへの移籍はどれほど大きなステップアップになったと思う?

「ベルギーのフットボールは個人の能力を重視してると思う。それに対してセリエAはより戦術的だね。だから僕自身にとって大きなステップアップになったよ。

僕はDFだからディフェンスのやり方を学びたかった。だから、イタリアではとても良い経験ができたと思ってる。」

 

イタリアで守備を学んだという話だけど、これまで他に学んだことはあるかな?

「うーん…正直なところ日本とイタリアでディフェンスのやり方に大きな違いは無かったかな。でも、ベルギーとイタリアは全く違った。

なぜなら、先ほども言ったようにベルギーは個人の能力を重視しているけど、イタリアはより戦術的だからチームとして動いていた。それもあってベルギーとイタリアは全く違った。」

 

それでは最後に、トミーはイングランドでプレーすることに興奮している?

「前にも言ったように、アーセナルでプレーできるなんて想像もしてなかったし、プレミアリーグでプレーするのが子供の頃からの夢だった。

だから、もの凄く興奮してるしスタジアムでプレーする日が待ちきれないよ。」

 

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