ケニー・サンソンが入院
1980年代にアーセナルやイングランド代表で活躍した名SBのケニー・サンソン氏(61)が入院していることが明らかとなりました。
サンソン氏のTwitterアカウントで公表されています。ツイートによると、入院しているものの新型コロナウィルスに感染した訳ではないとのこと。
サンソン氏は1980年〜1988年までアーセナルでプレーし、通算394試合に出場しています。1987年のリーグ・カップ制覇に貢献したほか、PFAのチーム・オブ・ザ・イヤーに8年連続で選出されています。
また、イングランド代表でも長くレギュラーとしてプレーしており、通算86試合に出場しています。80年代に限ってみれば、10年間で84試合に出場しています。この数字はGKのピーター・シルトンと共に80年代の最多出場数です。
引退後はアルコールとギャンブルの問題に苦しめられており、2015年にはホームレスになってしまうほど追い込まれていたそうです。その間は自殺を考えていたらしいです。
レジェンドの1日でも早い回復を祈るばかりです。
(ソース:Goal.com)
ニャブリがメルテザッカーに厳しく教育された様子を語る
2012年に当時15歳だったニャブリは、シュツットガルトからアーセナルのアカデミーへ加入します。将来を嘱望されながらもアーセナルではキャリアを築くことができず、2016年にはブレーメンへ移籍します。
その後、ホッフェンハイムへのローン移籍を経てバイエルン・ミュンヘンに加入し、今ではドイツを代表するウィンガーとして大活躍しています。
そのニャブリがThe Players’ Tribuneで手記を公表しました。 その中でアーセナルへ移籍してきた当時についても触れており、特に同胞のペア・メルテザッカーから厳しく教育されたことを明かしており、まるでフレンドリーなシュワルツェネッガーみたいに強烈だったと語っています。
ニャブリ
「彼は良い意味で僕にいつも厳しかった。アーセナルでは兄貴の様な存在で僕がどんなに良いプレーをしたり、どれだけ頑張ってもいつも色々言われたんだ…
あ、ちょっと待って!みんなはペアの本当の姿を知らないから、こういう話をされても分からないよね。まずは彼の声や表情を思い浮かべて欲しい。
確かにペアは世界で最も親切な男だ。だけど、それと同時に世界で一番ドイツ人的な男でもあるんだ。
彼の言うことは全てが強烈なんだよ。それに彼は背がめちゃくちゃ高いから、上から見下ろされて、なんかこう威圧されている気になるんだけど、それでも凄く親切なんだ。
英語で表現するとしたら何になるかな。めっちゃフレンドリーなアーノルド・シュワルツェネッガーみたいなイメージかな。それがペアだ。
彼はトレーニング中に僕が何をしても近寄ってきてこう言うんだ。『セルジュ、自分がどこの出身か思い出せ!お前はシュツットガルト出身だろ!だったらとにかく謙虚になるんだ!セルジュ、お前は今の自分が最高だとでも思っているのか? 謙虚になれ!謙虚さだ!』ってね。」
メルテザッカー自身も以前語っていた様に、ニャブリの人生が劇的なスピードで変化していくことを見越して厳しく躾けていた様です。
「ある日、友達と一緒にテレビでメスト・エジルのプレーを観ていた。彼はアイドルだった。それから2年後、その彼と一緒にコーヒーを飲むことになるんだよ。
エル・クラシコでクリスティアーノ・ロナウドにアシストをする彼の姿を、畏敬の念を持って見ていたんだ。その彼が自分の目の前に現れて、調子はどう?とか聞いてくるんだよ。(自分が)変わらない事の方が難しいよね。
自分を見失わないようにするのも難しい。」
(ソース:Goal.com)
エメリ:ぺぺではなくてザハを獲得したかった
アーセナルは昨夏にクラブ史上最高額の移籍金でリールからぺぺを獲得しました。しかし、当時監督だったエメリはぺぺではなくザハの獲得を要望していたと明かしました。
エメリ
「我々はぺぺを獲得した。彼は素晴らしい選手だが、我々は彼のキャラクターをよく知らなかったし、(適応するまで)彼には時間と忍耐が必要だった。
私自身はリーグのことを熟知していて、すでに適応している選手が良いと思っていたのだ。ザハは自分の力で勝利に導いていた。トテナム戦やマン・C戦、そして我々との試合でね。
信じられないようなパフォーマンだったよ。だから私は彼ら(クラブの幹部)にこう言ったんだ。『彼のことは私も知っているし、欲しい選手だ』とね。
ザハにも会ったが、彼も加入したがっていた。その一方でクラブはぺぺを将来の中心選手の一人と判断した。それに対しては私は『確かにその通りだ。しかし、今は試合に勝たねばならない。そしてこの選手は勝利へ導いてくれる』と言った。彼は自分の力で我々に勝利したのだからね。
彼の移籍金が高額だったのは事実だし、パレスが売りたがらなかったのも事実だ。そして、(移籍に?)影響を与える様々な決断が行われたのだ。」
またエメリは、解任直前の7試合未勝利を振り返り、雪だるま式に良くないことが積み重なって行き、チームはバラバラでクラブ内で自分も孤立していったと語っています。
「厳しかった。エネルギーが欠落して物事が漂流してしまった。あらゆる物事がそうだったし、誰もがそうだった。サポートしてくれる人が何人かいたけれど、雰囲気や関係性が変わっていくのを感じた。
それはピッチにも伝わっていく。パレスとウルブスにリードを奪われた事が、我々の感情を良く表してると思う。全く上手くいっていなかった。
選手達には『私が望むチームには見えない』と言ったんだ。すでに献身さも団結力も無かったからね。そしてその時、自分が孤軍奮闘していることに気がついた。クラブも私を見放していたので、解決策は無かった。」
(ソース:Goal.com)
エメリ:チームはエジルがキャプテンになることを望んでいなかった
エメリはエジルを冷遇し続けましたが、それはエジルの姿勢や責任感の問題だったと語っています。
エメリ
「結局、彼は自分自身を見つめ直すしかないのだ。姿勢と献身さについてね。
私はエジルを助けるためにあらゆる手を尽くした。私は自分のキャリアを通して見ても、才能溢れる選手は大好きだし、彼らは私と共にベストの状態かそれに近い状態でプレーしてきた。
私自身は彼の起用に関して常に前向きだったけれど、彼の示した態度や献身さのレベルが不十分だった。
キャプテンの一人はエジルだったかもしれないが、ドレッシング・ルームの意見は彼をキャプテンにしたくなかったのだ。
彼の献身さのレベルはキャプテンに相応しいものではなかったからね。これは私が決めたことではなく、選手達が決めたことだ。」
エメリによると、昨年のEL決勝・チェルシー戦の翌日、エジルだけが個別面談に応じなかったらしいです。
「あの試合では献身さが見られた。我々は朝8時にロンドンに戻り、帰宅して3時間ほど寝てからコルニーへ戻った。
その日は選手全員とミーティングを行ったんだ。一人ずつ30分ほど話し合った。しかし、エジルだけが嫌がった。
理由は分からない。結局来なかったよ。我々が献身さの話をしている時にね。100%の献身さがあれば全員来るよ。」
(ソース:Goal.com)


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